| G174:石川元光 | 源 経基 ― 源 満仲 ― 源 頼親 ― 源 頼遠 ― 石川元光 ― 石川光信 | G175:石川光信 |


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| 石川貞政 | 石川光元 |
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石川光政(杢兵衛)の子として誕生。はじめ、豊臣秀吉に馬廻衆として仕え、2千石を知行する。慶長2年(1597年)、 従五位下壱岐守に叙任される。 |
石川光重の子。豊臣秀吉につかえ、馬廻組頭。兄弟には諸説ある。 |
| 石川貞清 | 石川一光 |
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美濃国の出身。父や兄弟については諸説ある。貞清(光吉)の父は石川光重とされるが、不明であるとするものがあったり、「石川一光の一族という」とするものもある。一光(貞友)にも父を石川家光とするものと、光重とするものがあり、彼らの先祖である鏡島城主・石川光清の子と孫の代の系図に混乱があるため、判然としない部分があって説明がつかない。 |
石川家光の3男。美濃鏡島城主・石川光政は長兄、丹波国の山奉行・光重は次兄。ただし異説もある。 |
| 石川頼明 | 石川光忠 |
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石川家光の4男。ただし異説もある。天正11年(1583年)4月、賤ヶ岳の戦いに参戦した兄・兵助一光は、賤ヶ岳の七本槍に並ぶ戦功であったが、同合戦で戦死したため、同年6月に羽柴秀吉より兄の一番槍の感状を譲り受けて、1,000石を賜り、小姓として取り立てられた。天正19年(1591年)、秀吉が行った三河国吉良での狩猟に随兵。 |
文禄3年(1594年)、豊臣家臣・播磨国龍野城主の石川光元の子として生まれる。光元は慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍に与して改易され、翌慶長6年(1601年)に没した。 |
| 石河正章 | 石河正茂 |
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貞享元年(1684年)、尾張藩家老・石川章長の子として生まれる。宝永3年(1706年)、父の隠居により家督を相続。万石格、家老となる。 |
享保6年(1721年)、分家・石河興利の家督を相続。享保18年(1733年)の実兄・忠喜の死去により、実家に帰ってその遺跡を相続し美濃駒塚領主となる。 |