| MT19:松平信綱 | 松平親氏 ― 松平親則 ― 松平正綱 ― 松平信綱 ― 松平信興 | MT20:松平信興 | ● |

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| 松平信興 | 松平輝貞 |
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寛永18年8月に徳川家綱の側近として中奥小姓,小姓組番頭、寛文7年正月には御側などを務めたほか、延宝7年に若年寄、天和2年に奏者番、貞享4年に大坂城代、元禄3年に京都所司代などの要職も歴任した。雑兵の戦場での体験談をまとめた『雑兵物語』の編纂に関与したという説がある。しかし実際の作者は不詳である。元禄4年(1691年)死去。 |
領地は摂津国・河内国内→下野壬生→上野高崎→越後村上→上野高崎と変遷した。 |
| 松平輝高 |
大河内輝声 |
| 所司代在任中、竹内式部を逮捕した(宝暦事件)。同年老中にのぼり、安永8年(1779年)、松平武元死去に伴い老中首座となり勝手掛も兼ねる。天明元年(1781年)、輝高が総指揮をとり、上州の特産物である絹織物や生糸に課税を試み、7月、これを発表したところ、西上州を中心とする農民が反対一揆・打ちこわしを起こし、居城高崎城を攻撃するという前代未聞の事態に発展した(絹一揆)。幕府は課税を撤回したが、輝高はこの後、気鬱の病になり、将軍家治に辞意を明言するも慰留され、結局老中在任のまま死去した。これ以降、老中首座が勝手掛を兼務するという慣例が崩れることになる。 |
上野国高崎藩の最後の藩主。高崎藩大河内松平家11代。はじめ松平姓を称した。 |