| TJ02:多治武綱 | 継体天皇 ―(宣化天皇)― 多治比 嶋 ― 丹治武綱 ― 青木重直 | TJ08:青木重直 | ● |

| リンク | F852・{AK03}{F843}{OT16}{F604}{G747} |
| 青木重直 | 青木一重 |
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武蔵七党の一つ丹党の末で美濃国に流されたと称する青木氏の一族。ただし、重直より前は、諸系図によって内容が異なり、確かではない。 |
天文20年(1551年)、青木重直の長男として美濃国で生まれた。青木氏は美濃の豪族で、土岐氏・斎藤氏に仕えていたが、一重は経緯は不明であるが、父・重直の下を離れて、初め今川氏真に仕えた。新坂の戦いで、敵と槍合わせをして組討って首級を挙げ、褒美に黄金を受け取った。永禄11年(1568年)の今川氏滅亡の際の駿河侵攻で、武田・徳川軍との交戦で負傷して、遠江国掛川に蟄居した。 |
| 青木重兼 | 青木重成 |
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慶長11年(1606年)、旗本・青木可直の長男として播磨国姫路にて生まれた。慶長15年(1610年)、徳川家康に初めて拝謁する。麻田藩初代藩主・青木一重には嗣子がなく、正重を養嗣子として迎えていたが、大坂の陣および豊臣氏の滅亡を機に病気を理由に廃嫡して、元和5年(1619年)の一重の隠居に伴い、その養嗣子となって麻田藩1万石を継いだ。 |
寛永2年(1625年)、駿府藩主・徳川忠長の附家老であった遠江国掛川城主の朝倉宣正の孫で、朝倉宣親の長男として生まれた。寛永6年(1629年)に父が26歳で早くに亡くなり、祖父のもとで育てられるが、寛永8年(1631年)に徳川忠長が閑居を命じられたときに、適切な諫言を怠った附家老の宣正の責任を問われて外祖父の酒井忠勝に預かりとなった。 |