| OE07:大江広元 | 土師身臣 ― 大枝諸上 ― 大江千古 ― 大江匡房 ― 大江広元 ― 毛利季光 | OE11:毛利季光 |


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| 毛利季光 | 毛利経光 |
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本姓は学者の家系の大江氏である。従って元は武士の家系ではない。父の広元は源頼朝に招かれて都から鎌倉へ下り、幕府創業に尽力した。季光は父の所領のうち相模国毛利庄(厚木市)を相続し、毛利氏の祖となる。公家である父親と違って、武士として東国に土着したのである。 |
父・季光が仕えていた将軍・藤原頼経、または執権・北条経時より1字を賜い経光と名乗る。 |
| 毛利時親 | 毛利貞親 |
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戦国時代に中国地方の覇者となる安芸毛利氏の祖である。吉田郡山城の築城者とされ、若き頃の楠木正成に兵法(闘戦経)を教えたという伝承もある。 |
生年は不明だが、執権・北条貞時の代に「貞」の1字を受けているとみられることから、貞時執権時代に元服を行っているものと考えられる。 |
| 毛利親衡 | 毛利元春 |
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南北朝の戦乱が勃発すると、父の貞親とともに南朝方として越後で活動した。しかし、後に祖父の時親の取り成しで北朝方に帰順し、一族とともに安芸に下向した。毛利氏の総領は祖父の死後、子の元春が継いでいたため、親衡は日下津城を築いて別家を起こし、子孫は坂氏を名乗り、安芸毛利氏の有力支族(庶家)の一つとなった。 |
曽祖父・時親の代官として足利尊氏に一貫して従った。その忠勤により、13歳で元服した際には、足利家執事・高師直の兄弟・師泰から一字拝領し「師親」と名乗った(師泰没落後は元春と改名)。 |
| 毛利広房 | 毛利光房 |
| 天授7年・弘和元年/康暦3年・永徳元年(1381年)に、父・毛利元春より吉田荘地頭職半分を譲られている。これと同時に毛利家の家督を相続したものと推測される。家督を継承して後の元中2年/至徳2年(1385年)に、出陣先の西条にて討死した。この時、広房には懐妊中の妻がおり、広房の死後に男児を出産した。男児の成長までは祖父にあたる元春が後見することになり、この男児が成人後、毛利光房と名乗って家督を継いだ。 |
光房が出生する前に、父親の毛利広房が安芸西条にて討死し、祖父の元春の下で成長していくこととなる。 |
| 毛利熙元 | 毛利豊元 |
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永享8年(1436年)、父の死去により家督を継承する。 |
応仁の乱では備後守護・山名是豊が東軍であったため、豊元も東軍に属し、京都で戦乱の日々を送った。しかし、東軍側の毛利氏への措置に不満を抱いた豊元は、文明3年(1471年)に帰国すると、西軍側の有力大名の大内政弘に味方して所領を取り返した。これ以後、毛利氏は大内氏傘下の国人領主の一つとなる。 |
| 毛利弘元 | 毛利興元 |
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文明8年(1476年)、父・豊元の死により家督を相続する。文明10年(1478年)2月、大内政弘に願い出て加冠されて、「弘」の偏諱を与えられ「弘元」と名乗る。文明14年(1482年)3月には、政弘からその領国内の豊前国京都郡津隈荘内で20町の地を預けられており、大内氏の知行制の中に取込まれている。 |
明応9年(1500年)3月、父・弘元がまだ8歳の興元に所領と家督を譲り、興元の弟である松寿丸(後の毛利元就)らを連れて多治比猿掛城に隠居したため、幼くして毛利氏の当主となった。 |
| 北条広春 | 北条高広 |
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越後安田氏の出身であるが、同族の北条氏の当主も兼任していたという説が有力であり、北条広春とも言う。越後の安田氏は大江姓毛利氏の一族であることから毛利広春とも呼ばれる。 |
大永4年(1524年)もしくは享禄3年(1530年)、北条氏の家督も務めていた安田氏の安田広春が没すると、北条氏は養子の北条高広、安田氏は養子の安田景元がそれぞれ継承した。 |
| 北条景広 | 安田景元 |
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上杉氏の家臣。永禄6年(1563年)、父・高広と共に厩橋城に入り、主君・上杉謙信の関東方面の政治や軍事を助けた。その武勇から鬼弥五郎と称された。天正2年(1574年)、父の隠居により家督を継承する。 天正6年(1578年)に謙信死去によって上杉氏の御家騒動である御館の乱が起きると、上杉景虎を支持して、越後国へ進軍し上杉景勝の軍と各地で戦った。景勝は「北条丹後守(景広)さえ討ち取れば、景虎は如何にもなるべし」と配下を叱咤した。 |
出自の詳細は不明であるが、永正12年(1515年)閏2月に長尾為景から所領安堵を受けた「安田百」が元服前の景元であったと考えられる。この安田氏は、同じ上杉家臣の安田長秀をはじめとする大見安田氏とは別氏族である毛利安田氏にあたる。 |
| 安田顕元 | 安田能元 |
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越後国上杉氏の家臣。越後国刈羽郡安田城主。永禄年間頃に父・景元の跡を継ぐ。同じ上杉家臣の安田長秀をはじめとする大見安田氏とは別氏族である、毛利安田氏出身。上杉謙信に仕え、川中島の戦いなどで功績を挙げ、信濃国の飯山城を任された。また、「顕」の字は謙信より拝領したものである。 |
上杉氏の家臣。上杉二十五将の一人。同じ上杉家臣の安田長秀を初めとする大見安田氏とは別氏族にあたるため、毛利安田氏と呼ぶこともある。 |