<桓武平氏>高望王系

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木下延由

  寛永19年(1642年)5月9日、父の遺領のうち速見郡立石5,000石を分知された(実際に許可されたのは寛文4年(1664年))。また、この分封より兄弟仲は悪くなり、藩士も含め一切交流をしなかった。徳川家光に拝謁し旗本交代寄合となる。正保3年(1646年)に初めて領地に入る。万治元年(1658年)、参勤交代の途中、45歳で急逝した。泉岳寺に葬られる。家は没後、子の延知が継いだ。
 実は豊臣国松だったとの説がある。『寛政重修諸家譜』によると、実際の年齢と異なって4歳年上に記載されている。万治元年(1658年)7月6日、49歳で没するとある。また、延由なのになぜ延次とされたか。父の延俊は、1万石を分封すると家臣の長澤市之亟に遺言したが、彼の機転により5,000石とされた。これは1万石の分封では本藩が立ち行かなくなることを案じてである。ここで3万石のうち、1万石を分知するということは常識では考えられず、豊臣国松だとすれば考えられる。分知が秘密裏に行われ、実際に許可されたのは寛文4年(1664年)だった。
 位牌には明石全登、内記と同じ家紋が記されてある。