<藤原氏>北家 御堂流 ― 中御門流

F734:花山院家忠  藤原房前 ― 藤原冬嗣 ― 藤原忠平 ― 藤原師輔 ― 藤原道長 ― 花山院家忠 ― 五辻家経 F741:五辻家経


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五辻家経 五辻経子
 左大臣・藤原兼雅の子。官位は正二位・中納言。五辻中納言と号す。花山院家の分家である五辻家の始祖と見なされている。家経の後は五辻家と称される藤原北家花山院家の分家として続いていく。家経の跡を継いだのは2男の雅継であり、安倍春元の娘との間に生まれた忠継が雅継の跡を継ぐ。忠継と平高輔の娘との間に生まれたと考えられる忠子は後醍醐天皇を生んで談天門院の女院号を得る。一方、忠継と卜部兼直の娘との間には経氏が生まれ、経氏の娘である経子は後伏見天皇を生んだ。鎌倉時代後期に五辻家が持明院統と大覚寺統、典侍を出す家となり、結果的に双方の外戚となった。  伏見天皇の掌侍から典侍となり、中納言典侍といわれた。弘安11年(1288年)3月3日、胤仁親王(のちの後伏見天皇)を産む。胤仁親王は中宮西園寺鏱子の猶子となったため、経子は国母として遇されなかった。従三位、准三宮。中園准后とも呼ばれた。元亨4年(1324年)10月11日に薨去。