| F509:藤原通任 | 藤原房前 ― 藤原冬嗣 ― 藤原良房 ― 藤原忠平 ― 藤原師尹 ― 藤原通任 ― 藤原親綱 | F509:藤原親綱 |

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| 姉小路高基 | 姉小路済俊 |
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| 姉小路氏は南朝方といわれるが必ずしもそうではなく、高基の叙位叙官は北朝方によってなされた。すなわち、後醍醐天皇が吉野遷幸後、足利尊氏が豊仁親王(光明天皇)を奉じて北朝を開いたのち、左近衛少将に任ぜられ、さらに従四位に進み、興国5/康永3年(1344年)には正四位下宮内卿に昇った。鎌倉幕府滅亡から建武政権発足、南北朝分裂という動乱の時代を生きた高基は正平13/延文3年(1358年)に死去した。 |
姉小路済継の嫡男で、姉小路高綱の兄。夭折したが、家系図によると秀綱,清堯という2人の子があったとされる。 |
| 姉小路良頼 | 三木自綱 |
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永正17年(1520年)、飛騨国南部を支配した三木直頼の嫡男として誕生。天文23年(1554年)、父・直頼が病死したため、家督を継承する。 |
別名、三木自綱。他に光頼・自頼。永禄2年(1559年)、父の命を受けて国司である姉小路家の名跡を継承する。元亀3年(1572年)、上杉謙信の要請に応じて越中に出兵したが、その直後に父・良頼が死んだため、家督を継承した。 |
| 三木秀綱 | 姉小路高綱 |
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家系図によれば、飛騨国司姉小路家にも同名の人物がいたとされるが、別の人物である可能性が高い。 |
飛騨国司を称した。姉小路済継の次男で、兄に済俊がいる。飛騨小鷹利城主。飛騨の乱により分裂した向小島氏の家系であり、飛騨百足城を築城したとされるが詳細は分かっていない。姉小路家を取り巻く環境から天正4年(1576年)に死去したとする説があるが、享禄3年(1530年)以降は史上から抹殺されるなど未だに不可解な点が多い。家督を継承したという記録もないが、一説によれば兄・済俊の死後に姉小路家を継いだとされる田向重継と高綱は同一人物とするものもあり、そうであれば高綱が姉小路家を継承したことになる。なお、重継については済俊の死後、姉小路家を継承したが、弘治2年(1556年)に三木直頼によって滅ぼされたという記録が残る。 |
| 向 宣政 | |
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出羽久保田藩家老。家格宿老廻座である向氏(のちに小鷹狩氏に改姓)の祖。飛騨国の姉小路氏三家(古川氏・小島氏・向氏)氏族の向氏一族と思われる。はじめ飛騨国小鷹利城に住し、父である姉小路高綱の死後に城主となり、家督を継承して姉小路宣政と名乗ったとされる(持城に向小島城)。しかし、幼少であったため、後見役の牛丸重親(牛丸氏)が城を乗っ取ろうと企て、それから逃れるべく家臣の後藤重元によって脱出した。 |